お正月になんか本を読みたいな~と思っていたら
近藤 誠先生の新しい著書。
この先生、「患者よ、がんと闘うな」っていう著書で有名な慶応大学放射線科の講師の方なんです。
ふぅーむ、今回はどんな展開なんだろうか、「医者・病院の実態がすべてわかる!」って新聞広告の見出しもなかなかに刺激的。
で、買っちゃいました。
さっそく読んでみましょ♪
「がんと診断されて、痛くもないのに治療のレールにのせられそうになったら断固拒否してください(P.44)」
・・・・うーむ、これされたら主治医のお医者さんは困るだろうなぁ。
何が困るって、耳鼻科でいうと「これを放置するとのどがつまって息が出来なくなって死ぬ」みたいな癌(がん)が放置状態になって、とことん悪くなってから再度受診してどうにも手の施しようがなくなってから治療が始まること。
もちろん、「患者さんの治療は患者さんが決める」というのが「十分な説明と同意(インフォームド・コンセント)」の元に行われるのが当然なので、患者さんがどんな選択をしても患者さんの意向に沿って治療をするのがお医者さんの役目なんですが、「助かる」状態だったはずが「もう助からない」という患者さんをケアしていくのは精神的にも非常につらいですね。
ホスピスとか「緩和ケア」といった、治らない癌に対して痛みとかを緩和して心安らかに最期までの人生を過ごしていただくっていう考えが最近は広まってきましたが、ホスピスや緩和ケアをできる病院は実際はまだあまりないんです。ない病院はどうするかというとそのまま主治医がそういった役割を果たすんですが。精神的なケアの面で耳鼻科は「目に見える」部分なので、テレビドラマのような「心安らかに」っていうような外見を維持したまま最期を迎えるのは難しい場合も結構あります。もし緩和ケア病棟がその病院にあっても外見のケア(いかに病気になる前に近い容姿を残せるようにするか)とか耳鼻科の主治医は一緒に治療を続ける場合が多いです。
視野が狭くなってもいけないんですが、「餅は餅屋」みたいなもんで、やはりその分野の専門のお医者さん(例えばのどの癌なら耳鼻科とか)が判断するのがいいと思うんですよね。
近藤先生の場合は放射線科の方なんですが、放射線科は(慶応病院では違うかもしれないのですが)あとあとまで主治医でいることが少ない科なんです。
いきなり放射線科を患者さんが受診するのではなく例えばのどなら耳鼻科を受診してそこから放射線治療の依頼があって治療にあたるんです。
「がんと診断されて、痛くもないのに治療のレールにのせられそうになったら断固拒否」した患者さんをその後自分が引き続き主治医として治療にあたったことがあれば「がんと診断されて、痛くもないのに治療のレールにのせられそうになったら断固拒否してください」とは言わないんじゃないかと思うのですが。
「合計10万時間、世界の医学論文やデータを読みこんできたからわかること(P.8)」ももちろんあるとは思うんですが、机上の話ではなく生身の人の最期を看取った経験と合わさってこそ理論も生きるのではないかなと。
自分が実際に行ってきた手術や放射線治療や化学治療について「経験と(医学論文などの)データをもとに」話をするのはいいと思うんですが、今まで自分が手がけてきていない手術などの治療について経験なしに「データだけで」話をするのは踏み込みすぎじゃないかと思います。
なんか堂々巡りの話になってしまいました。とりあえず患者さんにお勧めできるのは「その分野のお医者さん(例えばのどの癌なら耳鼻科とか)で診察を受けて信頼できると思う医師」にもし、どんな治療がいいのかよくわからなかったら、その医師が「自分の家族にしたい治療(あるいは治療以外の選択)」を希望するのが現状の医療では悔いが残らないのではないかと思います。
自分が今まで縁がなかった領域の病気については、自分の家族に対してはそうしたいし、患者さんに治療について説明する場合は患者さんが迷っている場合や病気について理解しにくい場合は「自分がこの病気だったらしてもらいたいのはこういう理由でこの治療」ということは触れるようにしています。
このへんはそれぞれのお医者さんの生き様や経験によって変わるので、一概にどれがよくてどれがよくないといいきれないんでしょうが。
新年早々けっこう考えてしまいました。
これからも日々の診療に埋没することなく、自分に対して「良い医療とは?」を問いかけていきたいです。